ビジネスの課題を突き詰めれば、最終的には「人」が核心にある。──というのは、おそらく多くの人が認める事実でしょう。
その「人」という要素をビジネスとし、またその周辺に存在する全ての要素を、人中心に進めているのが、世界最大の人材サービス業であるランスタッドグループです。
その日本法人・ランスタッド株式会社の中村 雄一氏に、日本におけるマーケティングのDX、またHubSpot導入の経緯や成果、そしてプロジェクト全体のブライトスポットについて聞きました。
人材派遣、人材紹介、アウトソーシング事業などの総合人材サービス業
ランスタッド株式会社 中村 雄一さん
マーケティング本部 DX部 ディレクター 兼 インサイドセールスマネージャー
──ランスタッドでは、2020年にHubSpotの導入を行いました。その背景、課題観について教えてください。
まず、どの業界もそうだと思いますが、DXやより良いサービスへの取り組みが必要だということは前提としてあると思います。日本の人材業界はまだまだ伸びていますが、限られたパイを競う業界だというのは間違いありません。
そのうえで、時期によって、求職者の方が不足していることもあれば、採用したい会社が足りないこともあります。今(2022年5月)は、自社で働いてくれる人を探している企業が多くあり、私たちから言えば、求職者を獲得していかなければならない状況です。
さかのぼって、HubSpotの導入を検討し始めた2019年末というのは、採用したい会社が不足していた時期です。つまり派遣先・就職先の企業とどうつながりを作っていくかが、われわれの課題でした。新型コロナが始まったころで、購買行動の変化も起こりつつありました。それで、BtoBのサイトをHubSpotで構築し、B向けの各種サービスをHubSpotで行うことにしたのです。
さらに言えば、「人」を大事にするのは私たちのポリシーです。
例えば、社内外に向けて宣言しているステートメントに、「Tech. & Touch」というものがあります。これはテクノロジーに投資することで、顧客ニーズに応え、かつ自動化・効率化を実現して、生み出された「人」の力を、人間にしかなしえないような部分に使うことを指しています。
その意味でも、DXをさらに進めていく、今回で言えばHubSpotを利用することは、グローバル側ですでに採用されていたことも含め、必然だったと言えると思います。
──やや具体的に、どういった部分にHubSpotを利用しているかを教えてください。
大きく言えば、toBの部分、つまり求職者を探している企業向けのサイトをHubSpotで構築した、となります。
特に注力したのは、コンテンツと問い合わせフォーム、さらに「派遣オーダーシート」です。こんな条件の人を求めている、という企業側のご要望を入力していただくフォームですね。マーケティング的に言えば、集客の部分とコンバージョンの部分、ということになります。
その他、いわゆるリブランディングをしたり、ステップメールも実装しています。
体制としては、私と、DX担当という形でアサインされているのが他に2名。その傘下にインサイドセールスが8名。サイト管理担当として4名ぐらい。さらに、営業のリーダーなどにも適宜加わってもらっています。なんと言っても顧客のことを一番知っている人たちですからね。
──コンテンツの成果はいかがでしょうか?
法人向けのブログ・WorkfoceBizのPVで言えば、昨年の同時期と比べ300%程度になっています。いわゆるSEOがそのコアにあります。記事数に関しては、新サイトのリリース直後はほんの数記事でしたが、今はもうその10倍以上になっています。
専属のコンテンツマネージャーを置いて、専門性を持ったメンバーと共に、日々有用と思える記事を作っています。コンテンツの量、もちろん質についても、こういう体制を持つのは重要ですね。「PVが増えてきたな」と思えたのは、リリースから4か月後ぐらいです。
──問い合わせフォームの取り組みの成果はいかがでしょうか?
昨年の同時期と比べると、問い合わせ数にして150%程度です。経験的に、ここに入力して、送信ボタンを押してくれる方というのは、すぐにでも採用したいとお考えの方が多いと思います。そういう意味でも、なかなか良い成果だと思っています。
──「派遣オーダーシート」はいかがでしょうか。
これは以前はなかったものなので比較対象はありませんが、徐々に成果が出てきている、手応えを感じている段階です。いろいろ試行錯誤を続けています。
全体として、こういった施策をしていなければ、私たちのスタッフも今頃一生懸命に何十件も何百件もコールドコールをして、苦労していたはずです。それが変わってきたのは、非常に良かったと思っています。
──全体的なプロジェクトの進め方を教えてください。
始めは、やはりパンセのスタッフの方々といっしょにペルソナやバイヤージャーニーを作り込むところからです。当初はイメージができないところもありましたが、進めるに従ってどんどん本気で考えていくようになりました。役職は、年齢は、どういう行動をするのか、SNSはどう使っているのか……、最初は大変でしたが、慣れてくると徐々にわかってきた、というのが体感です。あらためて顧客のことを考えるいい機会になったと思います。マーケティングの本を読んだりブログを見たりするだけだったら、そういう感覚にはならなかったと思います。
そして、コンテンツマーケティングの設計をし、それに基づいて各コンテンツのリッチ化やフォーム類の見直しを進めていきました。
新しいサイトのリリース後は、トライアンドエラーの繰り返しでした。「このペルソナにはこのコンテンツだろう」と考えて作ったものが思ったようには見られなかったり。Google Analyticsを見ながら、「ああ、ここで離脱している」と気付いたり。「エラー」と言いましたが、しかしこれは、意図的なものです。
──エラーを意図的に、というのを言い換えれば、あえて実験をしてみる、PDCAを回す、というようなことでしょうか。
はい、当然、ベストだと考えたものをリリースするわけですが、しかし実際にそれが機能するとは限りません。それが特に表れているのが、派遣オーダーシートの部分です。今はどなたにでも使っていただけるように公開していますが、当初は限られた方に使っていただく設計でした。問い合わせをいただいた方に、弊社のインサイドセールスが派遣オーダーシートのURLをお送りして、入力していただくということです。
しかし、ある時に「オーダーシートのフォームを公開して、ダイレクトに入力していただいてもいいのでは?」というアイデアが出て、やってみたら、実際に入力していただける方がいる。見ていただくとわかりますが、かなり細かく、多くの入力項目があります。「これを公開しておいても、入力してくれる人はなかなかいないのでは……」というのが私たちの先入観でした。しかし、実際はその方法を選択する方がいる。きちんとヒアリングができていないので仮説に過ぎませんが、私たちの考えに反して、その方が速い、便利とお考えになる方がいるということです。
先ほど、問い合わせをしてくれるお客様はすぐにでも採用したいと考えている、というお話をしましたが、オーダーフォームに入力してくれる方は、より急いでいるのかもしれません。だとすると、弊社のスタッフは、オーダーシートの情報があれば、すぐにでも人の手配ができる。相当にスピードが上がりますよね。
──顧客にも、ランスタッドにとっても良いことですね。
それまでは、「今からちょっと御社にお邪魔して、オーダーを聞かせていただきますね、ご都合のいい日取りはありますか?」と日程調整をして、ヒアリングして、整理して、そこからやっと具体的な人の手配ですからね。
簡単にお話しましたが、そこに至るまでは、例えば「顧客にExcelのフォーマットをアップロードしていただくフォームがいいのでは?」とか、紆余曲折がいろいろありました。ずいぶん議論もしました。ユーザーファーストで、できるだけお手間をかけないようにしたつもりが、実際はあまり使われない。それよりも量は多いかもしれないけれども、シンプルなフォームの方が良かった。もし多すぎる、大変すぎる、今はここまで決まっていないと思った方は、普通のお問い合わせフォームを使っていただけますし。ただ、これもまだリリースして日が浅いので、引き続き改善をしていくと思います。
──ブライトスポット、つまり「うまくいったところ」をお聞きするとすれば、そうした試行錯誤をプロセスに組み込む、ということになるでしょうか。
そうですね。まず意識しているのは、巨額の投資をする前のスモールスタートです。
まず実験をやって、失敗は折り込んでおいて、極端に言えば「失敗はいくらでもしていいよ」というカルチャーで、根気よくいろいろな数値をトラッキングしていく。うまくいっているのかそうでないのか判断して、次につなげていく。それはやっぱり大事だと思います。
「リリースして満足」みたいなケースもありますよね。でもやはりその後も見ていくのが大事だということを、自分自身、あらためて学んでいます。それが、先ほど申し上げたように、顧客のことを真剣に考える、ということにもつながると思います。コンテンツ制作に「専門性を持ったメンバーを」とお話しましたが、当然顧客のことをよく知っている現場のスタッフも入っています。
──チーム作りも重要ですね。
はい、このB向けサイト以外にもいろいろ関わっていますが、やはり人数が多すぎるとうまくいかないという側面があると思います。
言い換えると、当事者意識が高いメンバーが揃っているというのが、プロジェクトのキモだと思っています。会議の席に20人座っていたとして、そのうち5人しか発言しないなら、その5人だけでよくないか……。
社内の力学的に、または根回し的に、「この人を入れておかないと……」などということもあると思います。そこは注意を払う必要があるでしょう。ただ、弊社はそういった物事をすすめる時のフレームワークが、比較的整っているんです。それに今のCEOも含めて、基本的には前向きなカルチャーです。失敗も含めて、行動していくことができます。
──では、「何が課題だったか」というお聞きのしかたをするとどうなるでしょうか。
何か新しいものを社内に取り組む時、反発というと大げさですが、抵抗感を持ったり、使ってくれなかったりする人が現れることでしょうか。
例えばオーダーフォームにしても、お客様を訪問して、手帳を広げて、「何時から何時までですか?」と全てメモして、それを帰って入力して……というのは大変な作業です。それがなくなったら、すごく楽になるはずなんですけど、しかし、スタッフが勝手に使ってくれる、というわけではない。
これには、今もパーフェクトにできているわけではありませんが、アーリーアダプターをうまくグリップしておくというのが大事だと思っています。そういう人達が使い始めて、事例を作って、成果が出てくると、みなさん自然に取り入れてくれる。そういう光景を何度も見てきています。
──やはり、核心にあるのは「人」ということになりそうです。では最後に、今後目指すところを教えてください。
はい、まだまだ全体にDXとかインバウンドマーケティングというものが行き渡っているかというと、そうでもありません。これを全国の支社、スタッフ隅々まで浸透させられれば、その分浮いたリソースを、派遣スタッフのみなさんのケアに使うとか、企業向けのソリューションに注ぐとか、いろいろ可能性があると思います。まだまだやるべきことがありますね。
また、冒頭に「Tech. & Touch」についてお話ししました。テクノロジーを活用して、顧客ニーズに応え、かつ自動化・効率化を実現して、そして生み出された「人」の力を、人間にしかなしえないような部分に使うということです。さらに、全社のブランドプロミスは「human forward.」としています。働く人の可能性を最大限に引き出そう、そのための最大限の貢献をします、という約束です。いずれも、人のお話です。
そのひとつの例が、派遣スタッフの方々にどう定着していただくか、という課題です。今、弊社ではここに注力し始めています。
企業としては、新しい人を雇うというのは当然コストがかかることです。今、採用のコストはどんどん上がっていると思います。働く人としても、辞めずに定着するということは、満足してもらえているということだと捉えられます。たぶん数年はかかると思いますが、デジタルだけじゃなくて、全方面からアプローチして、みなさんの可能性を最大限引き出したい、と思っています。